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三人寄れば文殊の知恵

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「弘法大師 伝承と史実」の衝撃 2

弘法大師 伝承と史実」の衝撃 2

弘法大師の生誕の地は従来は讃岐の善通寺と
いわれていました。

一方、讃岐に海岸寺というお寺があり、江戸時代には
二つのお寺で弘法大師の生誕地について争いが
あったとも言われます。

産屋があったのが、海岸寺、生家があったのが、善通寺
とも言いますが、いずれにしても、讃岐の善通寺付近で
生まれられたことについては、全く疑いの余地がなかったはずです。

ところが「弘法大師 伝承と史実」によれば

「空海の誕生地は畿内!」

弘法大師に関しては、精神世界でも超人気人物で、
怪しげな著者によって、荒唐無稽な説が唱えられることも
しばしばあります。

普通なら一笑に付すことも少なくありません。

しかしながら、著者の武内孝善師は高野山大学卒で
現役の高野山大学教授というれっきとした経歴の方です。

従来、弘法大師が讃岐生まれとされた有力な根拠は以下の通り

1、延暦24年の太政官符に本籍地、讃岐国とある。

2、「三教指帰」(弘法大師の出家宣言書)に
「玉藻帰る所の島(讃岐)、よ樟(クスノキ)日を蔽すの浦に住す」
とあり、善通寺境内にはお大師さん在世当時からあったといわれる
巨大なクスがあるために、善通寺を指すといわれていた。

※「よ樟」の「よ」の字が変換できませんでした。

しかし、武内教授はこれに異議を唱えます。

1、「玉藻帰る~」は架空の表現であり、生誕地ではありえない。

2、弘法大師の母といわれる阿刀氏は、当時、
 讃岐に住んでいた形跡がない。讃岐でしか活動していない
 佐伯直氏(弘法大師の生家)が阿刀氏を娶るのは不自然。

さらに、

1、弘法大師の生家は讃岐の豪族で郡司といわれていたが、
その一族は、地方豪族としては異常に高い官位を持っていた。

という事実を挙げ、一族は中央に官人を出していた氏族であり、
本拠地は讃岐ながら、畿内にも活動拠点を持っていた
可能性が高いことを指摘されています。

弘法大師の教養が桁外れに高かったことを考えると、
阿刀氏の実家である畿内で生まれ、育てられた可能性も
否定できないそうです。

資料に基づいた綿密な考察ですが、
これまでお大師さんの生誕の地とされていた
善通寺には、激震が走ったようです。

さて、次は

「お大師さん(弘法大師)が眠られているのは奥の院ではない?」

最終更新日 2008年09月01日


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